昔話スレ
この板の住人の平均年齢ってけっこう高い気がする。30代くらい?
その割に昔のことを語り合うスレがないようなので立ててみました。
ちなみに自分はMacを使い始めたのは漢字Talk 7.5.5(だったかな?)くらいからで、
特にジョブズが復帰してからアップル製品がどんどん好きになっていった口。
初代iMacを新宿南口の高島屋に見に行き、
Mac OS X public βを同じく高島屋に買いに行き、
初代iPodを発売日に買って…。そんなユーザ、けっこういるんじゃないかな。
iMacが出た頃はMac the Knifeというサイトに書かれていた情報を
わくわくしながら読んでた。
マカーたちはもう50代に突入してるよ
たしかに30代じゃ若すぎるね。俺は40前半。初めて買ったのが、27歳のとき、
パフォーマ。800MBHD。64MBメモリ。15~6万だったかな?
mac100%、macが一番なんて雑誌もあったような、、、。
Option押しながら、リンゴマークメニューの隠れムービー。
1970年代
>>14
AppleIIの時代かあ。Macはまだ陰も形も無いね。
自分はIIcxが最初
メモリ奮発して8MBにした
AppleII = マイコンのロールスロイス
4116は1個2000円くらいした。
8個単位で必要だが、いっぺんには買えないので1つずつ買っていった。
16KBから48KBに増やした頃には1個1500円くらいに下がっていた気がする。
さらに16KB増やす頃には、1個1000円を割り込んでいたような。
NECがこんなに安売りするんじゃ、モステック(モステクノロジーでなく)の商売が
左前になるのも仕方ないと思った。
初代ExcelもMac用だしな
[Microsoft-Excel Ver1.00 for Macintosh]
凄まじい加齢臭が漂うスレッドはここですか?
>>277
まあ加齢臭ついでに聞いておくれ。それはAppleII前夜の話。
まずはこの小さな囲み記事から。初めてByte誌がアップル社に触れた記事。1977年3月号。
https://www.evernote.com/shard/s41/sh/9f391e78-e74e-4291-aec9-80bfbfb91f5d/6779019d414faec444c85ad39c6fd6a3
突っ込みどころの多い内容で、Apple1は16Kbit DRAMを使用できるとか、
Wozniakの綴りがWozniacだとか、1976年12月にApple1をByte Shopへ出荷したとか。
もし16Kbit DRAM対応のApple1が存在し、それを12月に出荷したというなら通じるが、
寡聞にしてそのような話は聞いたことがない。
シナリオはいくつか考えられる。
1:有志の誰かが(あるいはWozniakが)16Kbit DRAMを用いたApple1用メモリ拡張
ボードを作成あるいは試作し、それを見たSteve Jobsが勘違いまたは意図的に
誇張して伝え、Byte誌がそのまま書いてしまった。
2:JobsはAppleIIの話をしていたのに(当時はAppleIIの試作が完成し16/4Kbit DRAM
の混在が可能だった)、それが上手く伝わらずByte誌が勘違いした。
3:すでに第1回West coast computer fairへ出展すると決めていたAppleIIの詳細
を可能な限り伏せるため、Jobsが偽装話をしてそれが掲載された。あるいは編集部
もその片棒を担いだ。
等々。
それにしても1976年には、Interfece Age誌にアップル社の広告が載り、さらに
同誌がJobs名義の寄稿記事まで掲載したというのに、このByte誌のぼんやりとした
出遅れっぷりはどうだろう。
この温度差はひとえに米国の東西問題にあった、というのは勝手な憶測。
しかし実際、Interfece Age誌の編集部は西海岸にあり、後年に西海岸編集部を
設けることになるByte誌の編集部は東海岸にあった。さらに当時、無数の小規模な
パソコンメーカーが存在していたという背景も働いたかもしれない(あのメーカーは
実在するのか的な探訪記連載まであった)。
とはいえこんな風に思いをめぐらすのは後年の話。この時期まではまだ自分にとって、
アップル社は有象無象の1社にすぎなかった。それも主流のS-100バス製品ですら
ないSBCのみで、注目に値しない会社だと感じていたはず。しかし翌月には…。
>>298
>Interfece Age誌
Interface Age誌です。もちろん。
>>298
加齢臭というか死臭というかガン細胞というのは
独特な匂いがするらしいときいたことがある
というかもう孫がいるだろwww
というのは置いとくとしてパソコン黎明期をよく知る
おじいちゃんがこんなところでなにやってんすかと思わなくもない
その当時から今までパソコンに関わってる人と
いうと知ってる人は知ってる有名人とかだったりして
>>301
インターネット第1世代は、僕よりさらに年上ですよ。
AppleII前夜から進んで直前の話。
アップル社をめぐるぼんやり記事(>>298)を書いたByte誌だったが、1977年4月号に
奇妙な記事を載せる。それは「アップル社のSteve Wozniakが寄稿した記事を来月号に
掲載するよ」というもの。わざわざカラーの単一ページを設けて予告記事なんて、
異例中の異例だったと思う。少なくともそれまで見たことがなかった。
https://www.evernote.com/shard/s41/sh/94bcbb29-3aeb-43e8-8c1f-fa6882c42e20/fe006e446b7035fc5c3ad3c99b619f01
内容も興味深かった。ど派手な画面写真や文章を見る限り、どうやら彼らの新製品は、
クロメムコ社のDazzlerボードばりのグラフィックをBASICから操作できるらしい。
そして何より、さすがCarl Helmersというべきか、アップルの2人と会いAppleIIの
プロトタイプに触れたときの描写に参ってしまった。今にして思えば、3月号の
記事にある「Steve Jobsからの電話」とは、パロアルトまでHelmersを呼び寄せる
ためのものだったのかも。
そして第1回WCCFに合わせ、予告通り掲載されたWozniakの「AppleIIシステム解説」。
https://www.evernote.com/shard/s41/sh/d5abbd81-c527-41cc-b75a-93b86bda7bf0/4979d7c76467d9c916604e1a4c3ea8e5
生真面目で実直だけど、決して固すぎないエンジニアが書いたと知れる文章だった。
Mike Markkulaに言わせれば「もっと世間受けする文章を書くべき」なのかもしれないが、
自分のAppleIIに対する関心は、この記事で決定的になったような気がする。
入手したらすぐにプログラムを書いて遊んだり試してみたくなる機能は標準実装し、
後に応用範囲が広がってから欲しくなりそうな機能はオプションで後回し。
そんな風に見えた。見事な切り分けだと思った。共感とは言い過ぎかもしれないが、
僭越な表現を許してもらえるなら「こいつ分かってる」、そう感じた。
>>364の続き。
思い返せば1977年は奇跡のような年だったと思う。それはAppleIIだけでなく、コモドール社の
PETやラジオシャック社のTRS-80が相次いで発表・発売されたからだ。
AppleII最初の写真広告
https://www.evernote.com/shard/s41/sh/06b58e07-ffbe-4fdf-9dbf-accf49a28347/4588d9d6d1c8a786eba4a2a660e3845c
6月のNational Computer Conferenceに展示されたPET 2001(試作)
https://www.evernote.com/shard/s41/sh/bd3ae4b6-f46d-4485-bc04-2d5bcb47f871/fd038e63b940bbe859010bbdb8dbca2d
8月のTRS-80発表の様子(試作)
https://www.evernote.com/shard/s41/sh/d00bcf65-dbe5-46bd-a33e-59160767ffec/757766d12882a59380e66cf86385f014
当時はまだベトナム戦争の記憶も生々しく、民衆が力を持てば世界は良い方向に変革すると
信じていた時代。その力は決して暴力などではなく、個人所有のコンピュータであるべきだ
という確信があった。根拠は何もなかったが。
だからこそ、従来と違って家電のような外観を持つ(当時の感覚)これら3台に夢を見た。
そして中でも、象徴的なレインボーカラーのバッジを背負うAppleIIを選択するのに、
何も迷いはなかったような気がする。
ようやく購入が叶ったのは、Carl Helmersの購入レビュー記事から半年以上過ぎた頃。
Byte誌1978年3月号のAppleIIレビュー記事
https://www.evernote.com/shard/s41/sh/fa73a1c8-abab-4ad9-b3be-6501e1210d10/a25f4137489017726c87cecad5ac8226
欠点もあったけど、AppleIIは思った通りのコンピュータで、手を突っ込めば隅っこの方まで
指先が届くような感覚が凄く楽しかった。ほんの少しのお金を生んだりもしたが、ちょっと
実務に使った以外はプログラムを書いて遊ぶのがほとんどだったように思う。
78年に購入したAppleIIは、結局90年代末にICの腐食で動かなくなるまで、20年近くプログラム
遊びの相手を務めてくれた。当時からは想像も付かないほどコンピュータが普及した現在、
かつて夢見た変革は来なかったかもしれないけれど、何か1つくらいは良くなっていたらいいな。
関連リンク:Apple II はじめての雑誌広告秘話 – Apple/Macテクノロジー研究所
>>394
あなたのevernoteがどこまで続くのかとても興味がある
ぜひ最後まで載っけてくれ
いまどの辺?
>>394
貴重な資料ありがとう。
当時は学生で金がなかったから本物の][は買えなくてハンダ付けして偽物作ってたよ
いまは自作PCでOSX86ができてまた楽しい時代になったと思う
>>394 からしばらくして、1979年6月に発売されたのがII+。新型というより、
基本的にはROM版のApplesoftII BASIC(発売済み)を標準装備したテコ入れ更新で、
特に新製品登場!的な大騒ぎはなかったと思う。単に自分がIIに夢中で気付かな
かったのかもしれないが。
知る限りII+最初の広告露出は、Apple Pascal転写プリント広告(Byte誌1979年10月号)。
https://www.evernote.com/shard/s41/sh/92cf8675-972c-49c2-8341-ec6505779a76/a32d99207ed49bde214f972ad4a21ce7
小売店広告にはもっと早くから名前が出ていたけど。
II+の新機軸だったのは新版モニタのAutostart ROM。「オートスタート」の要素
はいくつかあるが、その1つが「リセット時にDOS命令フックを切り離さずBASICへ
自動再エントリ」という機能だ。リセットしてモニタに落ちてからBASICへ復帰す
る際、DOSを使っているか否かでエントリポイントが違うのだが、これに伴う誤操
作を防いでくれる。「うっかりリセット」は日常茶飯事だった。
リセット後の復帰でDOS命令フックが外れる例(旧モニタROM)。
https://www.evernote.com/shard/s41/sh/77c4bf07-f012-4d91-b1f0-a97aa236441d/0ec661dcd51c9f268d764a7d12377236
リセット後に正常復帰する例(旧モニタROM)。
https://www.evernote.com/shard/s41/sh/e4e90495-2544-40b6-9409-f48f702b7e44/3e7af809c1fe8eb8510de6a1715d30b3
一方ApplesoftIIを標準搭載した背景の1つがハイレゾグラフィック。
元々AppleIIのセールスポイントの1つだったが、整数BASICから使うには自分で機
械語ルーチンを書くか、Wozniakルーチンをテープから読み込んで呼び出すしかな
かった。
今どきなら誇大広告と怒られそうだけど、そこは「基本的にソフトは自分で作る
もの」が常識の時代。そしてApplesoftIIでようやく命令を実装した。
同じく「Music」も広告で謳われていたが、実際に音楽を鳴らすなら自分で機械語
ルーチンを書く必要があった。これはApplesoftIIでもサポートなし。
1980年代
Macintosh最初期広告。
AppleII時代と変わらず説明が多い。2ページ構成。
http://i.imgur.com/WvFE2.jpg
http://i.imgur.com/yGmNU.jpg
開発者インタビュー、1984年2月号のByte誌。
https://www.evernote.com/shard/s41/sh/1b898f2b-ba68-4839-97c5-6954239226d1/a44df637719a79f4f3ad1edb756ea7bd
90年代生まれだから話に参加出来ないけど、時代の空気がよくわかるこのスレ好き
使い始めた時がleopardな自分はマカーならではの感動や悲哀がない
つまらないMacユーザーなんだとよく自覚した
>>122
そういうユーザも多くなってくるだろう。
俺がMacを買ったのはすでにジョブズがアップルを追い出されて
迷走しはじめた頃だった。
それでもあれだけ充実して楽しい時代だったよ。
だからこれからもアップルがやることはいろいろ楽しませて
くれるだろう。
* Steve Jobs 1985年 Appleを退社
>>127
Macを触って楽しいと言えばジョブズ不在の時のが楽しかったとは思う
華々しく打ち上げてはずっこけてたQucikTake,Newtonとか
子供の頃は買えないんだけどMac雑誌見てるだけでも楽しかった
取手を引っ張るとロジックボードが取り出せて機器の増設の
簡単なLC630なんかは今触っても面白いアイブのデザインした
PMG3,初代iMacやロンバ,Pismoくらいまではアメリオ時代のプロジェクトで
ジョブズのプロジェクトは閉じたデザインのG4Cube辺りからとか
Apple本で読むと妙に納得してまうPBG3シリーズの内部アクセスのしやすさとかは
秀逸で今のMac触ってると同じチーフデザイナーがやってるのに
なんでこんな風になってしまったかと思ってしまう
>>128
ハードを弄れるのはジョブズの考えとは真逆だからな
G2PMではプロセッサーカードを取り替えたり、
ATAカード経由でATA HDDに換装したり、と色々やった互換機戦略もあって、
PC/ATとのハード的な制約も低くなってた
それ以前はIIciのPDS換装やLC475のクロックアップとかもやったが、
イマイチお仕着せだったな
>>128
同意。
今思えばジョブズが発表した機種の中で、印象的なのは
始めて横板を倒して基盤にアクセスできたPowerMac G3と
ひっくり返して基盤を抜き出すG4 Cubeかな。
Apple の関係者の中ならスーザン・ケアに一番憧れたな
親しみやすさのセンス( ゚д゚)ホスィ…
>>136
本人の公式ページからアイコンブック買ったわ
http://www.kareprints.com/?p=691
Side by side @stubot #happymac http://t.co/OdItvHQ8OF
俺はビル・アトキンソンのファンだったよ。
今日、3階建ての木造校舎の延焼実験とかでやってたけど、
建物の中の映像で何台かのPCと一緒にMacintosh Plusが置いてあったわ。
焼くなんてもったいない。
学校はお宝の宝庫かもね
Macじゃないけど大学の軽音部室に古臭いアナログシンセが転がってたの思い出した
うん。そしてソフトウェアだけでなく、
マイクロソフト最初期のハードウェアもアップル用だった。
1980年発売のMicrosoft Z-80 SoftCard(後にMicrosoft SoftCard)
http://i.imgur.com/no7T4.jpg
出すやいなやバカ売れ。
In fact, our number one revenue product actually the year I joined Microsoft 1980 was a hardware product something known as the SoftCard.
— Surface発表会におけるマイクロソフト社CEO Steve Ballmerの発言。
http://seekingalpha.com/article/670451-microsoft-s-ceo-presents-at-on-demand-keynote-microsoft-surface-event-transcript
まあコピー品も大量に出回ったけれど。
さらに翌年にはMictosoft RAMCARD発売。
http://i.imgur.com/WxN9w.jpg
アップル純正の16K-RAMカードだったLanguage Cardと異なり、AutostartROM(アップル製の新モニタファームウェア)を持たない
16K-RAMカードという製品の流れを作ったと思う。
先行する別メーカーもあったかもしれないが。
Nibble誌1984年3月号のMacintoshプレビュー記事
https://www.evernote.com/shard/s41/sh/4571421c-2e3a-4c15-afc4-fd549399075b/aba61bca10aad26e4b761c3e839318d7
メディア向け内覧会(1983年11月中頃と記述)に基づくプレビュー記事。
当時の状況を眺めると、1980年に登場したAppleIIIはビジネス向けで、
Nibble誌の守備範囲外だったうえに大失敗が確定済み。
また1983年のLisaもNibble誌の守備範囲外で、成功する様子はない。
Nibble誌はホビー分野のAppleII情報誌だったので、その立ち位置から今度のMacintoshは自分らの注目する市場でどうなんだ、という懐疑にも似たやや斜めの視点から記事を書いているのが趣深い。
記事ではJobsの「recreate the Apple II phenomenon」という発言を引用。本当にそうなるなら、Nibble誌にとっては最も重要なポイントだった。
続いてByte誌1984年2月号のMacintoshプレビュー記事
https://www.evernote.com/shard/s41/sh/b6bdc984-4b16-414b-8e9c-029ab5bb66f7/9789578ddc3c7d4137033266c347b23b
おそらくは評価用の本体を借り受けて書かれたものと思われる(一般に3カ月前入稿)。
パーソナルコンピューティング総合誌に相応しく、アップルの開発者が寄稿した文章を織り交ぜるなど重厚な編集。
当時の同誌は「小型コンピュータは大衆の力」という70年代の空気を色濃く残しており、家庭向け市場を席巻するには高価すぎるとしつつ、他社が比肩し得るシステムを開発するのは無理だろうと評価。
>>81
これまた懐かしいものを
保存させていただいた
みんな大好きThunderScan。
http://i.imgur.com/GZJga.jpg
スキャン遅かったけど。
アップルのImage Writerが必要で、トータルでは安いと言いがたくなっていた。
業者にスキャンを頼むよりはよっぽど安上がりだったが。
Macintosh開発明けで休職中のAndy Hertzfeldが、
付属ソフトウェアを担当したことでも有名。
ハードウェア開発は、大ヒットしたAppleII用時計カードThunderClockでお馴染みのThunderware。
最盛期の1987年には月7500台を売りさばき、
トータルの出荷台数は10万台に及んだらしい。
でもやっぱりスキャンは遅かった。
>>84
ThunderScan懐かし過ぎ♪
せっせとエロ雑誌スキャンしたっけ。実に遅かった。
しかし、当時スキャナなんて無かったから感動した。
今そのエロ画像見ると・・
イメージライターかっけー
まったく別の形でプリンタとスキャナ一体が当たり前になるとは思わなかったな
>>85
そういえばそうだ。複合機の到来を予見していたのかな。
違うか。
もしかしたらMacintoshはこうなっていたかもね、的なあれ。
Jef Raskin先生のMacintoshプロジェクト文書集。
https://www.evernote.com/shard/s41/sh/002083e3-1078-4d42-a1f7-4c1378e4331e/49a46ffa35640c6dad00f3d77f595d01
冒頭のモックアップ写真は諸々暫定としているが、後のCanon Catによく似ている。
この文書の見どころはM23 OVERALL SUMMARY OF THE MACINTOSH SYSTEM と題された項で、特にRaskin版Macintosh用ソフトウェアの概要を論じた部分が面白い。
単なる連携程度の統合ではなく、融合に等しい統合を目指していたことが覗える。
個々のアプリケーションは独立して存在するという既存概念を踏襲したJobs版Macintoshと大きく異なる所。
プロジェクト方針の確執からアップルを出たRaskin先生は、自身の構想を実現すべく会社を立ち上げ製品を開発。
最初はいきなりスタンドアロンのシステムを開発するのではなく、既存プラットフォームのAppleIIを利用する形に。
SwyftCardの広告。Nibble誌1985年10月号
https://www.evernote.com/shard/s41/sh/0cb63e12-01e2-41ab-aa96-aa106c7a3d91/a7bfd41ac8ee3e9b30ee475709f4598d
SwyftCard紹介記事。Apple II Review誌1986年春号
https://www.evernote.com/shard/s41/sh/6edb5f36-aeab-4fcf-853a-e191f4dac5a8/a129a105b6d76f8c8ec4f28d0dbb08c1
Raskin版Macは、この後スタンドアロンのSfyft、高名なCanon Catへと続いた。
2005年にRaskin先生没す。合掌。
Macintosh創始者Jef Raskin先生の子どもっぽくて可愛らしい一面。
Mac大特集となったByte誌1984年2月号(>>47>>81参照)を読み、Raskin先生大激怒。思いあまった先生は編集部へ抗議の手紙を送る。
そしてByte編集部は、1984年5月号の読者のお便りコーナーにて手紙を公開。
https://www.evernote.com/shard/s41/sh/4a28f2b6-5e86-486a-a029-f7f77910d47d/1239c22cd9d54bca67d5c4ea3feeeabf
編集部からはコメントも何もなく何事かと思わせるも、
1984年8月号でRaskin先生、Bud Tribble、Brian Howard3人のインタビュー記事を掲載。
https://www.evernote.com/shard/s41/sh/1359657b-c8c8-44d7-b2c4-147cdc024cfb/1fa8a4abd4dd734c38d8b3e0ec25c4af
お茶を濁すような内容かと思いきや、意外に読み応えたっぷりな記事になった。
少しヒマだったので、Raskin先生怒りの手紙を邦訳。
タイム誌やローリングストーン誌などの一般誌ですらMacintoshの由来について
報じたというのに、コンピュータ業界屈指の御誌が言及しないとは、いかがな
ものか。かかる一般誌が報じた通り、低コストで白黒のビットマップ画面を備え、
小さくて非常に馴染みやすいコンピュータというMacintoshのコンセプトは、こ
の私が産みだしたものだ。私がMacintosh開発のために集めた初期メンバーは、ハードウェア設計担当の
Burrell Smith、ソフトウェア設計担当のBud Tribble、そしてしかるべき名声を
得ていない立役者のBrian Howardだ。Brianはプロジェクトのコンセプトばかりか、
ソフトウェアとハードウェアの設計にも貢献した。Brian(なぜか御誌の記事に
名前が出てこない)とBurrellは今もMacintoshに関わっているが、Budは大学へ
復学し博士号を取得、そして私はインフォメーション・アプライアンス社のCEO
となった。Macintoshという名前を付けたのも私だ。本来のMcIntoshと綴りが異なるのは、
御誌がおっしゃるような間違いではなく、エレクトロニクス製品メーカーの名前
と同じにして将来トラブルにならないよう、意図的に綴ったものだ。大変面白いことに、Macintoshプロジェクト発足当初、Steve Jobsは猛烈に反対を
唱えていた。しかしわれわれの考えの正しさを示して見せるや、現在の彼がそう
であるように大変なMacintoshコンセプトの支持派になった。御誌の記事内容は
事実と非常に異なる印象を与えかねず、賞賛すべき点を見誤りかねないように思われる。Jef Raskin
関連リンク:「スティーブ・ジョブズ 1995 〜ロスト・インタビュー」の注目すべき点 – Apple/Macテクノロジー研究所
>>133
乙。本筋と関係ないんだけどMacintoshの綴りが勉強になった
触発されてRaskinのwiki見ると息子(Aza)もFirefoxで父ちゃんと同じような
ユーザー・エクスペリエンス何ちゃらをやってるみたいだった
道具いじりが好きな家系なんだろうねぇ
ところでAza君の講演を見るとMac Book Air を使っていた!めでたしめでたし
550Cは(業者が逆輸入だかして?)
雨本国でも少数流通したという記事を読んだ記憶が。
キーボードがたしかJISだよねえ。
USキーボード版が存在するかどうかは知らない。
黒い550cに灰色のUSキーボードを付けたとか
黒く塗ったとかは見たことある気がする
俺は発売当日にサンフランシスコで$5000も出して540cを買った
何でそんな価値があると思ったのか不思議だ
>>156
68030で表示周りに問題があって画面も小さかった180cと比べたら
040搭載で最大メモリも大幅に増えた500シリーズは雲泥の差だったから、
俺も540cが出たときは安いと思ったよ。
TFT液晶だけで+20万円払ってもいいと思える、
今となってはすごい時代だったこともあるし。
1995年の$レートっていくらだったっけ?
>>157
超円高の年だよ。金銭感覚狂うのが怖くて1ドル100円で考えるようにしてた。
オッサン達きもいよ。
じゃあ「きもい」ついでに。
商業的には大変な失敗に終わってしまったLisa。
Macintoshと兄弟関係にあったLisaの登場と反応の話。
まずはByte誌1983年2月号のLisaプレビュー記事から。
https://www.evernote.com/shard/s41/sh/29baf125-a672-4f83-8e3b-97f125f4299d/35276fa6ce1072d7d93655e4a9ff44ba
発売前の評価用モデルを試用して執筆したもの(そのような記述がある)。
Lisaはデスクトップメタファに加え、ドキュメント中心の操作環境を
実装したため、従来のシステムと大きくかけ離れていた。
そのせいか、操作説明に多くの文字を費やしている。
この記事では約1万ドルの値段にこそ懸念を示すものの、
「過去5年間のコンピュータの発展において、Lisaの誕生は1981年の
IBM PC登場を吹き飛ばす最も重大な出来事だ」と大絶賛。
元々噂が先行していたためか、その反応は大きかった。
Byte誌1983年6月号の読者コーナーにて。
https://www.evernote.com/shard/s41/sh/d1722fdb-6491-4c21-8f35-e11c68354712/59efb2b011071225cddc880802657b1c
あくまでも編集部が選択して掲載したものとして読む必要はあるが…
曰く「容量860KBの可変速ドライブ(ツィッギードライブ)のどこが『画期的』なのか」。
曰く「会社のお偉いさんがキーボードアレルギーかもと懸念するあまり、見慣れないデバイス(マウス)を増やす意味が分からない」。
さらに、おそらくドキュメント中心の操作性を含めての話だと思われるが、
曰く「デスクトップメタファは有益なのかもしれんが、設計全体を通じて押しつけがましすぎる」。
等々なかなか強烈。ツィッギードライブはある意味で同感だったが。
こうした声におされたのか、単に性能上の制限による判断か分からないが、
MacintoshのOSでは抽象化の水準を一段引き下げ、ドキュメント中心の操作
は実装しなかった。しかし、そのおかげで敷居がかなり下がった気がした。
「あぁ僕の知っているコンピュータだ」という感じに。
>>171
Lisaってたしか初期のMacOSも動くんだよな
大須のGoodWillとかに展示してあったのを学生のころよくポケーと眺めてたなあ
昔GoodWillにいたApple社員に古Mac売り付けたOldMac担当もどっかに消えちまったし
OldMac館とかもなくなっちゃったな
秋葉のSofmapなんかMac系だけで新品から中古、DTM、OLDまで四店舗くらいあったのに
今は店は小綺麗になったけどやたらと画一的になったなあ
>>181
Macintosh XLってやつだな
ドキュメント中心とか
デスクトップメタファとか深化しすぎると失敗するよね。
CyberDogってのもあったか。
個人的には
PCに向かって仕事してんだからPCっぽく振る舞ってくれりゃいいんですよ。と思う。
鉛筆やノート、従来の使い方を知ってる道具を模すのもいいんだけど
新しいPCって道具がありゃソレを学べばいいだけの話で。
ドキュメント中心の操作性ってどんなのですか?
今までの歴史の中でLisa以外では(?)実装されなかった「押しつけがましすぎる」UIって興味ある
>>172
同感。そしてわざわざシステム丸ごとドキュメント中心でございと構えなくても、
使い勝手の向上のために、そういう風味は取り込まれてきたしね。
>>173
例えばだけど。
必要なアプリケーションソフトを見つけて立ち上げ、新規作成などで
空っぽのデータを作り、入力してからファイルに保存するのが
アプリケーションソフト中心の操作。
一方まず空っぽのファイルを用意して、それがテキストならデータを入力するときに
ワープロソフトが機能するのがドキュメント中心。
とっかかりの部分に限っていうならそんな感じ。
言葉足らずで浅薄な説明なのはご勘弁。
LisaのOSでいえば、白紙の束(紙が重なったアイコン)から
白紙を1枚取り出し(ファイル作成)、それを開いてアプリケーションの操作が始まる。
つまり画面上に見えるアイコンは必ずしもファイル(プログラムファイルやドキュメントファイル)に
一致していないわけで、ここがMacintoshのOSと完全に違っていた。
子供の頃にラジオ会館の何処かで、カラクラみたいな筐体で、
モノクロ画面の中をボールが跳ねるスクリーンセーバーと出会って、いつかコレ欲しい!
あれが無かったら、人生は少し違っていた気がする。
道を踏み外すのは、何事も些細なきっかけだよな
>>702
否定はできんな
>>703
駅を出て、まずはラジオ会館のエスカレーターに乗るかどうかが運命の分かれ道だな。
そうか俺はあの時もう戻れない道に・・
今、それを後悔してるのか?
[引用元: 1]
コメント
このスレ面白かったよね
まあ去年のレスなんですけどね
Lionから使い始めたにわかが通りますよっと
こういうスレは普通に読んでて楽しい。
昔ハミングバードっていう大阪のソフト会社からA+っていうアップルの雑誌買ったわ。
電話で確認したら「遊びにきませんか?」って言われたけど、そのころ中学生でお金がなくて行けなかった。
なので雑誌も眺めて妄想膨らますだけ。
ハミングバード、いいソフトウェアメーカーだったな。
無くなる前に行きたかった。
良い加齢臭だ
imac2012モデルでmacデビューした新参がいてもよいですか?
漢字Talkでドヤ顔の30代www
いまちょうど20だけど初めて触ったMacは感じtalkだった
まあPioneerのやつだったけど
EYECOMなる週アスの前身の雑誌をよく買っていて、スタパ齋藤氏が当時「林檎番長」を連載していた。
けど、当時Macなんて買う気も予定も全くなかった自分は、Apple製品に限らない衝動買いエッセイ「買物番長」になった時、むしろ嬉しかった。
それが今やMacBook ProとiPhoneを使ってAppleのリーク情報探して読んで、一喜一憂している。変わるもんだなあ。